調律後に『キエフの大門』を弾く理由
調律が終わっていつものように軽く弾いてチェックしているとお客様から『いつもその曲ですけど曲名は?』と聞かれました。私はよくムソルグスキー作曲の組曲『展覧会の絵』(Pictures at an Exhibition)より『キエフの大門』を調律後に弾きます(と言っても冒頭部分だけですけど)
『キエフの大門』ってどんな曲?短いダイジェスト版ですが、我が愛しの Alice の演奏でお聴きください。後半の部分、あの番組で流れるので知ってる方もいらっしゃるかもです。。
で、なぜショパンやリストやドビュッシーなど『調律してピアノの音が綺麗になった』アピールできる曲ではなく、どちらかというと野暮ったい(?)この曲かということを簡単に解説します。言葉で書くのはちょっと難しいですが。
その1
冒頭部分の和音。右手と左手で8音(装飾音符を除く)が同時に鳴り、全体が一つのメロディーとしてゆっくりと流れます。よくある右手がメロディー左手が伴奏という形ではなく。
この和音がミ♭、ソ、シ♭、ミ♭。すなわち変ホ長調のドミソドとなるわけです。左手も同じ音で構成されています。
ドミソの和音は音楽の基本となる和音なのはご存知のとおり。ところがこのドミソの和音。平均律で避けて通れない『唸り』が一番良く聞こえるのです(たくさん唸るという意味ではなく、普通の人でも聞き取りやすいという意味)
なので、この和音構成全部が、ミ♭ファソと1音ずつ流れるというメロディーだときれいに調律していないと『唸り』が美しく流れない。長三度、四度、五度の唸りが美しく連続し、かつオクターブ下の音にオクターブ上の音が美しく乗っていないと綺麗に聞こえない。
その2
8音が同時に鳴って全体が一つのメロディーとなるということは、単音のメロディーと違い、すべての音が同じ鳴り方をしないとまとまって聞こえない。
ピアノの音は1音に付き3本の弦が張られていますので、その3本の揃い具合(合わせ方)を8音全て同じにしなければまとまりません。要するにユニゾンが全て同じように揃っていなければならない。
その3
この冒頭部分はペダルを踏んでいます。なので弾いていない音も共鳴します。一つの音に含まれる倍音と同じ音が共鳴するのですが、弾いている音の中の倍音と、共鳴している弦の音程が一致していなければきれいに響きません。
8音同時に鳴らすわけですから、8音に含まれる倍音と共鳴する弦の音程とすべてが合致していないと美しく聞こえないのです。後半になるとさらに低い重低音が入ってきますのでますます難しくなる。
要するに
実はこれらは調律作業の基本となる作業で、すべてが完璧じゃないと『キエフの大門』は美しく聞こえないということなのです。
まぁ実際は、どこまで求めるのには限界がありますし、その微妙なズレや揺らぎがピアノの表情になるということも有ったりします。
大手メーカーの研究チームなどは徹底して研究し設計しているでしょうし、名門と言われるようなピアノメーカーは伝統的に何かそういうノウハウを蓄積しているのかもしれません。それでもピアノは生き物、1台1台違った個性が出てしまいます。
ただ稀にかなり理想に近い状態のピアノが有ったりしますので、そういうピアノが『当たり』と呼ばれるひとつなのかもしれません。
余談ですが
ピアニストはどの音をどのように弾くか、瞬間的に指先(鍵盤)をコントロールしています。音だけではなく、タッチも揃えておかないと『キエフの大門』は美しく聞こえません。
以上のことから仕上がり具合のチェックには最適だなと個人的には思っています。
とまぁ
難しく書いてしまいましたが、この曲の冒頭は弾くだけなら案外簡単に弾けますので、ピアノのチェックがてらチャレンジしてみてはいかがでしょうか。