20年目の1.17
とりあえず近くへ住む母親へ電話。続いて神戸市須磨区に住む弟夫婦の無事を確認。兵庫県芦屋市内の病院へ入院中の祖父母の無事も確認。幸いにして身内で犠牲者は出ませんでした。
当時はまだ今ほど携帯電話も普及していなかったので固定電話での連絡でしたね。 1ヶ月ほど経過した頃に、芦屋市内にある祖父母宅の片付けを兼ねて様子を見に入った町並みは、今でも脳裏に焼き付いて離れません。見渡すかぎり続く倒壊した家屋、焼け焦げたような臭い。通った中学校(父の入院の関係で1年間在籍)は避難所となり、あまりに現実離れしたその光景は、まるで映画のセットのようにも錯覚してしまいます。と同時に、同級生や近所の人たちが亡くなっているという現実に震災の恐ろしさを。。。 終戦直後にに建てられた祖父母の家は、倒壊こそ免れたものの大きく傾き無残な姿でした。
祖父が管理していて、私も子供の頃によく登って遊んでいた自宅横にある戦没者慰霊の巨大な忠霊塔も積み木のように倒壊。後にこの十数トンもある石材が盗まれることになるとは想像もしていなかったですが。。。
その後、石碑は無事に発見され、現在はほぼ元の状態に戻っていますが、本当は手前に2つ有った大きな石のうちの左側は見つからなかったようですね。
震災の2ヶ月前に生まれた息子も今年無事に成人式を迎えることが出来ました。 何気ない日常につい忘れがちですが、巨大地震から命を守るという事を今一度考えましょう。 震災で亡くなられた友人知人、すべての人に心より哀悼の意を表します。